七月。真夏の日本とは逆に、南半球のニュージーランドは冬の底にいる。
夜明け前、空がいちばん暗くなるころ、北東の低い空に小さな星の群れが戻ってくる。マオリの人々がマタリキ(Matariki)と呼ぶ、寄り添うように瞬く星たちだ。
この星の群れが明け方の空にふたたび現れることが、マオリの暦では新しい年の始まりを告げる。花の咲く春でも、日が長くなる夏でもない。一年でもっとも寒く、もっとも暗い季節に、ニュージーランドの新年は静かに明ける。

マタリキという名には、「風の神タファリマテアの目」という意味があると伝えられている。空から見下ろす、小さな目。その眼差しのもとで、この星の群れには古くから三つの時間が流れてきた。
ひとつは、この一年で見送った人を思い出す時間。
ひとつは、いまここにいる人たちと集い、分かち合う時間。
そしてもうひとつは、これから訪れる年に思いを馳せる時間。
新しいものを買うのではなく、過ぎた時間と、これからの時間に向き合う。マタリキが大切にしてきたのは、そういう時間の過ごし方だ。
この星の群れを、私たち日本人も昔から知っている。
すばる。昴。同じ星の集まりを、日本ではそう呼んできた。古事記や万葉集にも登場する、あの小さくかたまって光る星々だ。南半球のニュージーランドと、北半球の日本。遠く離れた二つの土地が、同じ夜空の一点を、それぞれの言葉で見上げてきた。
フェルドンシェルターが生まれたニュージーランドでは、マタリキの朝、家族や友人が寒さの中で顔を寄せ、まだ暗い空を見上げる。手にしているのは、特別な道具ではない。温かい飲み物と、隣にいる誰かと、少しの静けさ。それだけで、一年がひとつ、区切られていく。
フェルドンシェルター には「UNFOLD ADVENTURE」という言葉がある。unfold——ひらく、広げる。畳まれていたものがひとつ開き、そこから冒険が始まる、という意味だ。ルーフトップテントを一台ひらくように、旅は、大げさな準備からではなく、空を見上げるほんの小さな動作から始まっていく。
マタリキが教えてくれるのは、一年の節目は、何かを手に入れた瞬間ではなく、ふと立ち止まって空を見上げた瞬間に訪れる、ということかもしれない。
今年の冬、夜明け前に少しだけ早く起きて、北東の低い空を探してみる。
日本からは、季節も、星の見え方も違う。それでも、見上げるという行為は同じだ。
その静かな時間の中に、新しい一年の始まりが、たしかにある。

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